011 04月24日

宵のうちに酔い。 

 はい、火曜日です。推薦選考試験に向けて学んでいますか。昨日の総合の時間にチラっと言いましたが、日々良い文章に触れていることも文章力を身につける手段なのです。今日も良い文章を紹介します。
 手抜きをしているワケではありませんのであしからず。あくまでも諸君のことを思ってのことです。本当だってば・・・。


 日に日に春がたけていく。この季節の「宵の刻(よいのこく)」には、そこはかとない風情がある。
「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこく・あたいせんきん)」 で始まる漢詩が思い浮かぶ。宋の詩人、蘇軾(そしょく)の絶句 「春夜(しゅんや)」 である。「花有清香月有陰……」 (花に清香あり、月に陰あり……)と続く、甘美な詩句を愛唱している人も多いだろう。
 「宵のうち」 という表現が、気象庁の予報用語から消えることになり、惜しむ声が相次いでいる。午後の6時から9時をさすが、もっと遅い時間だと誤解する人がいるからという。新しい表現は 「夜のはじめごろ」 になる。機能的だけれど、いまひとつ趣(おもむき)を欠く。
 気象庁は時おり用語を見直していて、10年前には 「夜半(やはん)」 が消えた。そのとき 「宵のうち」も危なかったが、「宵っ張り」 や 「宵待ち草」 など身近な言葉が多かったため、目こぼしされて残ったいきさつがある。
 時を表す古い言葉には、それぞれ“表情”がある。「たそがれどき」 は寂しげだが、「火(ひ)点(とも)し頃」 は盛り場のざわめきを聞く気分がする。夜明けの前後をいう 「かわたれ」 や 「朝まだき」 は物静かだ。だが 「払暁(ふつぎょう)」 とくれば一転、まなじり決した軍事作戦をほうふつとさせる。雰囲気のある言葉が消えていくのは寂しい。
 戦後すぐに当用漢字を定めたとき、「魅」 の字はいったん選にもれたという。国語審議会である有名作家が、「これがないと日本語に魅力がなくなるなあ」 と注文をつけ、それで息を吹き返したそうだ。気象庁の会議では、「天気予報に魅力がなくなる」 という声は出なかったのかなあ。(2007年04月11日朝日新聞「天声人語」)


 最後の一文に注目です。「天声人語」 は、たまーにこんな感じで書いているヒト(めちゃくちゃ偉いヒトなのだよ)の茶目っ気が現れます。読んでいて微笑ましく感じてしまいますね。
 あまり紹介ばかりしていると、著作権法で訴えられてしまうかな・・・。
 えーい、呑んで酔っちゃおーっと。
 ぢゃな。 


このまま死んで後悔しない?

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