031 05月25日

さかなさかなさかな〜。 

 はい、あっという間の金曜日。試験も終わりプチっと羽を広げられる週末がやってきました。広げるのはあくまでもプチにしておいてください。ナニが起こるかわかりません。3年生勝負の1学期ですから。諸君は肉か魚か、と問われたら、「にくーっ!」 と答える世代だと思います。ですが、今日はこんなコラムを紹介します。


 福沢諭吉が訪米から帰国の途に就いたのは1867年(慶応3年)の夏である。どうやら、あちらの食事にうんざりしていたらしい
 下船して食べたいものを日記帳に列挙している。「うしほ、あらい」 (スズキ、クロダイ)、「に肴(ざかな)」 (タイ)に始まり、「飯」 で終わる。魚料理が恋しかったようである
 幕末の歌人、橘曙覧(あけみ)は 「たのしみはまれに魚(うお)煮て児等(こら)みながうましうましといひて食ふ時」 と詠んだ。煮魚に子供のころの記憶が刻まれている方は多かろう。福沢の魚恋しさにもあるいは、記憶の疼(うず)きが交じっていたかも知れない
 時は移り、最新の水産白書が日本人の 「魚離れ」 に警鐘を鳴らした。調理が面倒、子供が好まない、などの理由から消費が年々減少していると、数字を挙げて指摘している
 中国の魚の消費量が急増するなかで日本人の 「魚離れ」 はいつの日か、水産資源の 「日本離れ」 に行き着くだろう。いま現在の食卓が子々孫々の食卓にも影を落とすとなれば、「食卓も世に連れ…」 と涼しい顔をしてはいられない
 人間くさい記述で知られる三省堂の 「新明解国語辞典」 には、例えば近海魚 「おこぜ」 の項に、「ぶかっこうな頭をしているが、うまい」 と説明がある。魚はうまいぞ。辞書にならい、まずは魚好きが声を大にしてその味を語るのもいいだろう。
(2007年5月24日 読売新聞「編集手帳」)


 ここ最近は、中国のヒト達が魚好きになったと同時に、日本のヒト達の魚離れが起きているようです。美味い魚が手に入らなくなっていくのでしょうか。私のような日本人チャンジー世代は肉よりも魚を好んで食べるので、こりゃー大問題です。実は毎日魚を食べている私でした。
 良い週末を。
 ぢゃな。 


君の明日は、君がすべて変えられる

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