033 05月29日

再びちゃりちゃり。 

 はい、火曜日です。昨日の進路講演会、古賀稔彦さんの話には心動かされるものがありましたね。退場なされる時近くで見たのですが、胸板がすごく厚くてすっげー強そう(肉体的にも精神的にも)な方でした。古賀さんの道場のある場所は、私の地元の駅から電車で10数分の駅のようです。近!
 さて、諸君の中間試験も無事終わりました。各教科の課題に関して未提出物はありませんか。前々から触れている、「自転車」 に関したコラムがあったので紹介します。
 

 初夏の風に吹かれて、週末の東京を自転車で走ってみた。街道で、規則通りに車道を走ると、背後からひっきりなしに車に抜かれる。はねられやしないかと、背筋のあたりが寒くなる。
 歩道へ上がれば、歩く人に気を使って速度が出せない。牧水の名歌を思い出した。〈白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ〉。なぞらえるなら〈自転車は哀しからずや歩道にも車の道にも染まずさすらう〉。
 自転車は車道か、歩道か。古くて新しい問題をめぐって論議が起きている。道交法上は軽車両だから車道が原則だが、危険も多い。とはいえ歩道では人を脅かす。ぶつかる事故が10年で5倍近く増えたというから深刻だ。
 歩道の通行規制を緩和する法改正案を国がまとめると、異論が出た。歩行者との事故がさらに増えかねないからだ。だが自転車で車にはねられて死傷する人も年に約15万にのぼる。人の仲間か車の仲間か。白鳥(しらとり)ならぬコウモリの悩みのようだ。
 自転車のありようは時代を映してきた。昭和の初め、「二十四の瞳」 の大石先生は、月賦で買った自転車で分教場へ通い、ハイカラと呼ばれた。戦争が終わると、「青い山脈」 の若人が連ねる銀輪は自由な空気を運んできた。
 骨太な運搬用が消えて、「チャリ」 などと軽く呼ばれ出したのはいつからか。歩行者への凶器とも化しつつある様は、他者への優しさを欠く時代を映しているように見える。手軽で、安全で、何より自分のペースで乗れる。自転車の持つ魅力を、どうしたら取り戻せるだろう。
(2007年05月28日 朝日新聞「天声人語」)


 歩道を走ろうか車道を走ろうかと、私もよく迷ってしまいます。最近はジョギングを兼ねて走ってばかりなので、この週末あたりは自転車に乗ってみようかな、と思います。あ、週末といえば推薦選考試験です。学びましょう。
 ぢゃな。 


本当は、自分でもう決めているんだろう?

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