053 06月26日

中年の星。 

 はい、火曜日です。紹介しよう紹介しようと思いながら、今日になってしまいました。少しだけ古い話題で申し訳ありません。


 「メジャーのマウンドに立つことが僕の夢」 と言ったパイレーツの桑田真澄投手がついに夢をかなえた。ヤンキースの主砲に一発を浴びはしたが、手ごたえも感じたデビュー戦だったようだ。39歳。実力だけがものを言う世界を生き抜くのは体力的にも難しい年齢だろう。節制を重ね、限界に挑んでつかんだ夢舞台だ。中年の星に心から拍手を送りたい。
 野球道といえばイチロー選手(マリナーズ)が思い浮かぶが、桑田投手も負けてはいない。かつて右ひじを手術し、腕が振れない状態が続いたとき、ボールは投げられなくても体は鍛えることができると、黙々と外野を走り続けた。
 桑田投手が走った芝生はいつしかはげ上がり、桑田ロードの名が付いたという。桑田投手もまた野球道一筋に生きているのだろう。
 メジャー入りには、いい条件を提示したチームもあったが 「お金で買えないものもたくさんある」 とパイレーツを選んだ。「自分の中で大切にしている選手」 が以前パイレーツに在籍していた。4回の首位打者を獲得し、「ライフルアーム」 と呼ばれるほどの強肩の持ち主だったロベルト・クレメンテ選手である。
 社会貢献に取り組むメジャーの選手は珍しくないが、プエルトリコ出身のクレメンテ選手はとりわけボランティア精神が旺盛で母国での人気も高かった。1972年12月、ニカラグアで大地震が発生しクレメンテ選手はただちに被災地への援助に乗り出した。しかし救援機は31日、ニカラグアに向かう途中、墜落し同乗のクレメンテ選手も帰らぬ人となった。
 「お金で買えないもの」。クレメンテ選手同様、ボランティアに熱心な桑田投手を熱くさせる理由がここにもある。
(2007年06月12日 静岡新聞 「大自在」)


 「現在左ひざ手術のためにリハビリ中、PL学園時代の同期清原選手が桑田選手の活躍に触発されて、一刻も早くグラウンドに立つために渡米して手術をする」 なんていうニュースを昨日あたりやっていました。どちらも中年の星、頑張ってもらいたいものです。 
 39歳といえば、諸君が入学して来た時の私の年齢です。中年の星でしたか?負けていられません。
 ふひゃぁ〜。
 ぢゃな。 


反省はしてもいいけど、後悔はするな

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