04 04月13日
「人の値うち」ってなんでしょうね・・・
PositivebQで諸君に紹介した「人の値うち」という詩があります。それを読んで考えてもらった意見を紹介しながら、いろいろと考えていきたいと思います。
人の値うちなんて初めて聞いたよ。
価値観が違うとかはよく聞くけどね。
やっぱり価値観が合うというか、似ているという人もいれば、違う人だ
っているし、それはあってあたり前だと思うけど、まるっきり同じって人
もいないと思うよ。
大事なのは自分や相手の中身だよ!せまい範囲で人を決め付ける
のは良くないと思いまーす。
人の値うちは自分が死んだ時に、どれだけの人が涙を流したかで決
まるのではないだろうか。
例えば、自分が死んで生命保険の一億円がおりたとしても、喜ばな
い人だっているはず。だから決して人に値うちがつけられることはでき
ない。
だいたい人の値うちってつけられるものなのか。人の感覚なんてあ
いまいだし、都合のいい時は良くなって、都合の悪い時は悪くなる。
そんなのはあまりにもいいかげんすぎる。
かといって肩書きや出身地で値うちをつけていたら、肩書きの無い
人間はどうなってしまうのか。ましてや着ている物など問題外だ。人
によってセンスは違うのだ。やはり人には値うちはつけられないなあ。
そもそも人に値うちをつけるものではないと思う。しかし現実にはPos
itiveに載っけられた「人の値うち」という詩のように、くだらない理由で
人に値うちや位をつけて自分より上だとか下だとかを決めている。人
間は昔からこのように、自分の位置というものを決めてきた。
それは必要なことかもしれないが、しかしそれだけでは計れないも
のがあるのもわかって欲しいと思う。
今回は4人のヒトの意見を紹介しました。どれもヒトには値うちなんかはつけられないのではないか、またつけるべきではない、という意見です。が・・・本当にソレで良いのでしょうか?値うちのようなものは必要ではないのですかね?
例えば「値うち」というものをつけるとしたら、どんなものがその「値うち」にあてはまるのでしょうか。そして、そのあてはまったモノは、我々にとって本当にくだらない、必要のないモノなのでしょうか。
なーんて、ちょっと意地悪なコトを言っているかもしれませんが、このテーマ、簡単な様に見えて意外と奥深いものがあるような気がしませんか?
さて、とりあえずの個人ノート提出締め切りは本日です。諸君のイロイロな意見を待ってますので、どーぞ自分の思ったままの意見を書いてきてください。あ、一回提出してしまったヒトの再提出も大歓迎です。ノート返しましょうか?
最初の一週間が終了しました。残りは10ヶ月と17日(by教頭)です。がつーんと突っ走っていきましょう。