08 04月24日
そろそろ「人の値うち」がわかってきた。
諸君にいろいろ考えてもらっている「人の値うち」です。意見を紹介していくうちになんとなく見えてきたような気がしませんか?んなわけで今日も2人の意見を紹介。
着てる物だったり、肩書きで人が判断されてしまうのはしょうがない。
着てる物が変であれば普通に変だよ。それに肩書きだってその人が頑
張って努力したからこそ手に入れられたものであって、そういう面で周り
が認めるのはいいと思う。ケドそういうことだけで人を判断する人って、
他人だからって言えることなんだって思った。そう思うと別に何言われよ
うが、確かにムカついたり傷ついたりすることもあるケド、結局関係ナイ。
社会的には着てる物や肩書きは必要とされてくるケド人と人との付き
合いには、中身が大切なもの。人それぞれだけど自分は自分だし。なり
たい自分にだってきっとなれるハズ・・・
人にもし心がなければ簡単に決められたかもしれない。けれど人には
心がある。だからそんな簡単な言葉で人は判断できない。大すきっとか
キライとかいう言葉では判断できるケド・・・
人に「値打ち」って言葉あわないね。
簡単な言葉で人に値うちなんてものはつけられないけれども、たとえつけられたとしたって、自分は自分なのだから、ソレをしっかりと持っていれば大丈夫だということ。「人」と「値打ち」という言葉をつなぐこと自体がおかしいのでしょうか。
値うちはそーやってカンタンに決めてはいけないと思う。もし値うちをつ
けなくてはならないとしたら、私の中ではお金持ちの子は値うちはないと
思う。苦労を知らないから。逆にビンボーだった子はいろんな苦労を知っ
てるわけだから、値うちは◎だと思う。
「値うち」って言っても価値観によって異なると思うし・・・何の値うちなん
だろう。
自分に値うちをつけるとしたら何点?つけることができるんだろう。「自
分」という人間を他人として見てみると、値うちはない気がする。
人に「値うち」があるとしたら、ソレは「苦労」や「努力」によってつけられるのではないか、という意見です。
諸君に江口いとさんの詩を読んでもらってから、様々な意見が飛びかってます。考えれば考えるほど答えが出るようで出てこない・・・。出ているのかもしれないけれども、どれが答えかわからない・・・なーんて状態なのでしょうか。
次号あたりでまとめてみましょうね。
今日の一言
「目でもコミュニケーションを交わして。言葉だけでは半分も伝わらない。」