117 11月09日

渋谷でエンドレス。

 今週や来週に学園のイベントが目白押しだということもあり、私自身の学園祭はどんなモノだったかな、なんてコトを思い出してみました。
 中学・高校・大学と、それぞれ文化祭やら学園祭やらというものがありました。昨年の 「Positive」 にも書きましたが、そういったイベントでは、中学3年の文化祭を皮切りに大学卒業まで、ず〜〜〜〜〜〜っとヒトマエで音楽を演奏させてもらっていました。要するに目立ちたかったのかもしれません。それでもって心底楽しかった 「学祭」 といったら、やはり大学時代ということになるでしょうか。そのころのハナシです。
 所属していた音楽研究会(通称音研)は、ロックを中心に演奏する団体、譜面を見ながら大人数でビッグバンドジャズを演奏する団体、譜面はいいかげんに見て少人数でジャズを演奏する団体といった、3つの団体に分かれていました。いまだかつて譜面を読めない私は当然ながら、譜面はいいかげんに見て少人数でジャズを演奏する団体(通称COMBO)に所属していました。
 かといって、いわゆるそういったジャズ(ってどんなのだ?)音楽ばかりを演奏していたわけではありません。なんだかんだとオモテ向きはジャズ研究会ですが、ハードロックやソウルやファンク、リズムアンドブルースなんていう音楽もばしばしーっと演奏していました。ま、なんでもアリアリだったのですね。
 んでもって学園祭となると、4日間の開催期間中は、毎日のように教室を改造したライブハウスでの演奏がありました。演奏していない時間は、他の出演バンドを見ながら呑んだくれています。いや、酔っ払って演奏していましたっけ・・・・・・。
 だってね、大学の敷地内のありとあらゆるところには他のサークルが、焼きそばやらおでんやら焼き鳥やらコロッケやら餃子やらお好み焼きやらチョコバナナやらラーメンやらたこ焼きやらの屋台を出しているのです。そんでもってOBの方々が一升瓶持って 「おう、久しぶり!頑張ってるか!」 なんてひっきりなしに来るものですから、こりゃーもう呑まずにいられるか!ってなモノでした。
 夕方学祭時間が終了すると、いつもの居酒屋(「や○がた」渋谷中央街店)に直行です。そこでひとしきり呑んで騒いで燃やして(・・・な、何のことかはそのうち)、ハチ公銅像前の噴水でヒト泳ぎ(今はもうない、私は泳がない)した後、井の頭線という電車のガード下で万歳三唱して一応解散します。
 ところが学園祭でテンションがあがっているし、終電のがして帰れないヒトもいるので 「それじゃー○○のアパートへ行こう!」 なんてことになります。そう、ヤツら(ヒトゴトのような表現に反省)はまだ呑む気なのです。それでもってエンドレスで呑みつづけていくのでした。そして翌朝大学に集合した後、また呑み始めます。
 コレは大学時代の話です。当然、来週から学園祭の諸君にもこうなって欲しいと思っているワケではないので勘違いしないように!


こだわりすててみぃ、案外うまいこといくでぇ

BACK