21 05月14日
進路を決めた時。第3回(Kスケさん、奥深いヒト)今日は2連発
さて、「進路を決めた時」第3回の今回は、インターネットで知り合った、館林にお住まいのKスケさんという、私よりちーとだけ年上の男性です。実は私このヒトの本名知らなかったりします。ま、いっか。
私は、経営工学科というところにいましたので、コンピュータに関すること
は一通りやりました。言語もFORTRAN,COBOL,BASICなどやっていました。こん
な学科を卒業したのですから就職しても、そういう仕事に就くことは目に見え
ています。普通の会社に入ってもそういう仕事になるのなら、バリバリにそう
いう仕事に入ってみようと、とあるコンピュータメーカー系のソフトハウスに
推薦をもらって就職しました。そして、いわゆるSEをいうやつになったので
す。
折りしもその翌年ぐらいから、いわゆるバブル景気に入りまして、仕事は激
務でした。1週間ずーっとユーザ先に泊って、日曜日に着替えを取りに家に帰
るみたいな生活も経験しました。(その月の給料がボーナスよりも多かったの
を覚えています)まー、若かったからできたと今は考えています。
その後、ご存知のようにバブルがはじけて、世の中は不景気になりました。
そうなると、「オープン化」だとか「ダウンサイジング」だとかの波がやって
きて、結構、柔軟性があったおいらは、いち早くそういう分野に入っていきま
した。
そして、その波は、仕事の仕方も変えました。それまでのシステム開発は、
大勢の人数でプロジェクトを組み、ベンダー機種のベンダーOSでのCOBOLを
中心にしたもので、出来ない人間がいても数で勝負すれば、なんとかなってい
ました。
しかし、その後のシステム開発は、よりその中心人物のシステム開発能力が
システムの成功に大きく左右するようになりました。開発言語もVB、C、SQL、
ACCESS、EXCEL-VBAなど、多種多様になり、それだけではなくネットワークや
データベースの知識も不可欠になりました。そして、おいらはなぜかトラブル
物件の収集役というあまり、嬉しくない仕事ばっかりやらされる羽目になって
きました。あいかわらず、多忙の毎日です。
入社して10年ぐらいたったとき、今後の家族との関わり方、仕事との関わ
り方を考えて、再就職という決断をしたのです。再就職をするに当たっては、
時間を大切に考えて(もう体がもたなくなるので?)忙しくない仕事で、通勤
時間を考えて、この北関東の方面に(妻の実家の場所もあって)来てしまいま
した。
ふー、久しぶりにまじめにカキコしちゃいました。読み直してみると、変な
文章ですが、まー内容は伝わるでしょう。題名と内容がミスマッチですが、ご
愛嬌ということで、
であ。
月給がボーナスよりも多い・・・ものすごい働きようです。なにもソコまで仕事しなくても・・・なんて思ってしまいます。なにはともあれ「東京ビジネスショウ」にロックオンですね。ありがとうございました。
動揺したときには、心の緊張を少しだけ解いてみて。冷静さと狼狽の、どちらも選べることがわかるだろう。