63 07月06日

礼儀作法、奥が深いぞ。

 茶の心に、『不立文字』(ふりゅうもんじ、言葉や文字では表すことの出来ないもの)というものがあります。また『寂然不動心』(何があっても動じない心)というものもあります。この二つは「わび茶」なんていう世界を確立させてしまった、偉大なお茶の先生、千利休さんや、その孫宗旦さんが最も大切にしていたものでもあるようです。
 茶の世界というモノを想像してみましょう。ひっそりと静かな茶室に招かれます。その場に合わせたお菓子をいただいて、いよいよ目の前でたててくれたお茶をいただく・・・・・・こうして言葉にしてしまうと、流れは単純かつ、あっさりとしているようですが、いったいどこに魅力があるのでしょう。お菓子でしょうか?
 茶の世界は、瞑想の世界です。そこで己を見つめなおして姿勢を正していく・・・・・・ここに茶道の魅力、素晴らしさがあります。伝統として代々引き継がれていったものです。ですから、お茶をたてますよ、と人を招く側は細心の注意を払い、瞑想の出来る環境を提供します。そして招かれた側もそれを承知の上で招かれるのでしょう。
 そんな茶道の世界に『暁の茶事』という、一生に一度の茶事があります。
 たとえば極寒の2月、午前4時半、茶室に人々が集まってきます。聞こえてくるのは「しゃっしゃっしゃ・・・」とお茶を立てる音・・・・・・そんな静寂の中、茶事は進んでいきます。そしてその席が終わりかけた頃、薄暗い茶室の窓を開けると・・・・・・まさに暁の光明、言葉では言い表せない世界を目の当たりにしてしまうわけです。ヒトには作り出すことの出来ない自然の恵みです。想像してみてください。くうぅぅぅぅ〜、なんだか書いていてシビれてきちゃいました。
 おいおい、なんでいきなりお茶のハナシになっちゃったのだ、なんて思っているヒトも多いと思います。「実は私、茶道の心得があるのです」なんてことは通用しませんよね。
 実は、この『暁の茶事』のオハナシ、昨日のPositivebU2「礼儀作法ってどーなのよ」を読んでいただいた、とあるお方からいただきました。「和」における究極の(?)礼儀作法のひとつは茶道です。お茶です。日本の伝統をしっかりと理解して心を磨き、その上で『礼儀作法』を身につけていってもらいたい、との思いから、オハナシをいただくことができました。
 この方は実際に『暁の茶事』を、招く側としてなさったそうです(↑の話がそうです)。礼儀作法を極めた世界には、こんなにも素敵なことがあるのですね。ありがとうございました。
 こんな言葉の上、しかも私なんかの駄文では、茶道のことなどナニひとつ理解できないかもしれません・・・・・・さぁ、明日から諸君は茶道部にGO!です。あ、女子しか入部できねーや、なんででしょ。では文化祭で茶室に招かれちゃいましょー。
 茶な週末を。ばばんばばんばんばん!


人の失敗を許しなさい。多くの人は、失敗することからしか学べないのだから。

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