64 07月09日

命。

 昨日、ひとつの命が消えてしまいました。報道機関の情報で知っているヒトもいると思いますが、2年生の男子が渡良瀬川で水遊び中に流されてしまいました。夕方の出来事です。夜をはさんで早朝から再開された必死の捜索の甲斐あって、発見はされたのですが、残念な結末を迎えてしまいました。
 まだ16歳、終わらせるには、あまりにも早すぎる人生です。私は彼と直接面識は無いのですが、バスケットボール部に所属し、体育館で毎日練習をしていた関係上、部活(ステージで活動の演劇部)のため、何度もソコを通過する私に対して「こんにちはー!」と元気よく挨拶してくれていたはずの生徒です。
 「命とははかないもの」なんてよく耳にしますが、こうして考えてみると、本当にはかないものだと実感できます。こんなに簡単に(?)落としてしまってよいものなのでしょうか。少なくとも生まれてくるまで、そして諸君であれば現在にいたる18年間も含めて、その重みははかりしれません。簡単に落としてよいもののはずがありません。
 両親が愛し合い、命を授かります。母親がお腹を痛めて生まれてきます。辛い仕事もなんのその、笑顔見たさに父親は働きます。笑顔を覚え、言葉を覚え、親から溢れんばかりの愛をもらって育っていきます。小学校へ入学し、やがて中学卒業。そして未来を夢見て高校へ入学してきました・・・・・・。
 諸君の世代はよく親と対立したり喧嘩したりもしますが、だいたいこんなことがあって今の諸君はいるのですよね。もちろん亡くなった彼だって同じだったはずです。そんな16年間が一瞬のうちに消え去ってしまうのです。もちろん最初から命を落とそう、なんていう気持ちのヒトはそう滅多にいません。少なくとも彼の普段の行動からは、そういった雰囲気は感じられなかったでしょう。
 「大丈夫だよ」「平気平気」・・・これらの言葉は時に我々を元気付けてくれますが、注意力を消してしまうこともあるのではないでしょうか。冷静に考えれば「危険」「おかしい」ようなことでも、誰かがこれらの言葉を発すると、「そうだよな・・・」なんて、諸君が普段持っているはずの注意力を消してしまいます。どのような状況下で彼らが泳いでいたのかわかりませんが、誰からともなくそんな雰囲気になり、危険と隣り合わせの川遊びになってしまったのかもしれません。
 休み時間などのちょっとした遊びの中で、骨折までの大怪我をする生徒がここのところあいついでいます。これだって同じ事、ちょっと考えれば、危険と隣り合わせだということはわかったはずです。こんなことを書くと「まさか死ぬわけないじゃないか・・・・・」なんて思うヒトがいるかと思いますが、その「まさか」なのです。裏を返せば「もしかしたら・・・・・・」ということが予測できます。だから恐いのです。
 日常の何気ない行動の中に、命に関わるような重大な行動が数多く含まれているというこの事実を、我々は再認識するべきです。信号無視、自転車傘さし運転、二人乗り、列車内やホームでの遊び、教室でのじゃれあい・・・、廊下を走ることだって例外ではありません。
 彼の死を無駄にしないためにも、我々は「命」の尊さ、大切さを再認識するとともに、いとも簡単に落としてしまうものだ、ということも心にとどめておかなくてはなりません。おりしも事故が起きたのは七夕の日です。忘れようにも忘れることは出来ないでしょう。だったらなお更、こういったことを忘れずに生きていくことが、今の我々に出来ることだと思います。心より御冥福をお祈りいたします。
 昨年、担任をした卒業生が、交通事故で亡くなったことを思い出しました。在校中は結構元気で、ソリの合わない先生も数多くいた子なのですが、卒業後に仕事を始めてからは、「うまいもの食べにいこうぜ」と母親を誘っては喜ばせる、優しい心の持ち主でした。前途ある若いヒトの死はもうたくさんです。もう悲しい思いはしたくありません。
 もう一度言います。「命」の尊さ、大切さを忘れないでください。


木々は強さの象徴だ。木々を見たら、あなた自身の強さに意識を向けて。

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