Z5006 03月3日

3月1日昼。 

 平成17年3月1日、卒業式当日はいつも通り朝4時半に起床した。顔を洗って髪をセットして5時半に家を出て桐生に向かう車の中、CDから流れる 「淋しさや哀しみがある理由は、痛みが正しくて感じれば自分に近付けるものだから・・・」 という、歌の一節を聴きながら、このことを最後のホームルームで生徒に伝えてあげよう、ということを考えていたら、うるうるしてしまいそうになった。何だか今年の卒業式は、いつもと違うような予感がした。学校最大、在籍48名のパワーを受け続けたからだろうか。
 卒業式が始まった。終盤の校歌と仰げば尊しは、高い音域を出すと再び涙腺が緩み始めそうになったので、1オクターブ下げて静かに歌った。式が終わり、壇上で保護者代表から花束を受け取った後、奴らの座っている席に行く。「いえい!」 「花束似あわねーなぁ・・・」 等など、声をかけてくれる生徒を、嬉しいなと思いながら引き連れて在校生の拍手の中、式場を退場して教室に向かった。
 あらかじめ生徒を通じて連絡しておいた保護者の方々が、予想通り何人か廊下に見えていた。親と写真を撮るなんて恥ずかしい、と嫌がる生徒をねじ伏せて、まずは中庭での記念写真大会。ありがたいことに私は全ての写真に入れてもらった。そのあと最後のホームルームとなる。山のような配布物をばらまいてから、通知表と、卒業証書を渡す時間となった。
 「○○君、卒業おめでとう」 と一人ずつ手渡しをしていくと、自然と教室内からは拍手が沸き立つ。ぞくぞくしてくる瞬間だ。そして48人全てに手渡したあと、いつもは朝一番に配る学級通信を配り始めた。今日の学級通信ばかりは、生徒に読ませっぱなしではなく、自分でしっかりと読みあげていこう(とは言っても、学年の終わりは毎年同じような内容なのだな・・・)と決めていたので、全員にまわったのを確認した後、アルバムやら他の配布物やらを全て仕舞ってもらい、学級通信に集中してもらう。
 撮影会やら配布物の山やらで、自分自身慌ただしくなっていて、朝からの張りつめたモノはどこかへ行ってしまっていた。が、最後の最後のフレーズにさしかかったあたりで、どこかへ行ってしまっていたものが戻ってきていた。読み上げていく声がうわずって、涙がこみ上げてきた。
 前任校を辞める時、最後のホームルームで合唱コンクールでの歌を歌われて、ぼろぼろと涙を流したことがある。本校に就任してからは、生徒の前で涙を流すということは全く無かった(こらえていた)のだが、今年はあれから十数年振りに涙を流してしまった。なんとも恥ずかしい39歳のオヤジをさらけ出してしまった。
 更にそこへ、色紙と抱えきれない程の花束と拍手なんてものをもらってしまったものだから、もう後には引けない。更に恥ずかしいオヤジ全開となってしまった。どうもありがとう。おかげでもの凄く心地の良い最後のホームルームを過ごすことができた。この仕事をやっていて本当に良かったと思った。
 翌日、いつものように6時半に出勤し、いつものように、朝一番に教室に向かってみた。教卓の前に立ち、もう誰も来ない薄暗い教室を眺めていると、再び涙がこみ上げてきた。駄目駄目だ。48人のパワーは凄かった。
 卒業おめでとう。 


BACK