Z5007 03月06日

3月1日夜。

 卒業式の前日、夜11時。いつもならとっくに撃沈している時間なのだが、その日は呑みすぎることもなく起きていた。最後の学級通信を書いていたからである。携帯電話が鳴った。「誰だよ、こんな時間に。8時以降はまともな会話が出来ないから電話は駄目だっていってあるのに・・・」 と思いながら液晶を見ると、5年前、当時1年生を担任していた私のクラスを途中で辞めていった、K君の名前が表示されていた。
 K君は、「素直な子ですがちょっとやんちゃです」 といった内容の連絡が中学校から入っていた子である。確かに入学早々、髪の毛を染めてみたり、連絡無しで休んでみたりと、やんちゃぶりを発揮していた。たまたま家が近所ということ、また親御さんは町内会での顔見知りということもあり、欠席があると家庭訪問と称して、仕事帰りにお茶などをいただきにあがっていた。そのせいもあったのか、私に対してはやんちゃなことはなく、普通の態度で接してくれていた。
 クラスの中ではムードメーカーであり、密かに女子からの人気も高かった。国語の時間、毎度冒頭でやるスピーチにも元気があった彼が、地元でちょっとした気の迷いを起こしてしまい、そのことがきっかけとなり、鑑別所に入ってしまった。片道2時間以上をかけて早速面会に向かった。面会室で待つこと数分、立会いの職員と一緒に、頭を綺麗に坊主に刈ったK君が入ってきた。
 私の顔を見たとたん、ポロポロと涙を流し始め、ひとこと 「ごめんなさい」 と言うK君に、学校の方はもう続けることができない、ということを伝えられなかった。待っているから早く出てこられるように頑張ってくれ、と声をかけるのが精一杯だった。その年唯一、私のクラスから出てしまった退学者がK君だった。
 鑑別所から出た後、近所のラーメン屋でアルバイトを始めたK君には何度か会いにいった。K君が辞めたくて学校を辞めたわけではないのが、残念でならなかった。その後、携帯の番号やアドレスが変わる度に私に知らせてくれるK君だった。
 並大抵ではない苦労の末、定時制高校の教員になった知り合いがいる。生徒の目線で物事を考える彼とは、一緒に呑むことが何度かあった。ある時、彼の勤務校にウチの学校を辞めた後に入学して、部活動を始め、積極的に学校生活を過ごしているという生徒がいるという話題になった。定時制ということで、分母が少ないのだが、部活動は全国大会にも進出する程の頑張りようだという。なんというめぐり合わせだろう、それはK君だった。
 以来お互いになんだかんだと忙しく、彼とも呑むことがなくなった。私の中でのK君の存在は、K君の家の前に車が停まっていれば、「今日は居るのか」、停まっていなければ、「出かけているのか」 といった程度のまま、日々が過ぎていっていた。「便りの無いのは良い知らせ」 である。
 液晶を見るやいなや電話に出た。「もしもし、久しぶりです、先生ですか。明日の夜卒業式になりました。来られたら来てください」 「あ、早いなぁ、もう卒業か。わかった。ウチも卒業式だけど、終わったら行くよ」 K君からの電話を切った。
 開式間際に会場に入った。K君を先頭にして、14人の卒業生が拍手の中入場してきた。皆堂々としていた。卒業証書授与、式辞、祝辞、送辞と式が進んでいく。そして卒業生代表答辞、K君の名前が会場に響いた。考えてもいなかった。K君ずるいよ、やられた、と思ったその瞬間、涙が込み上げてきた。
 K君は涙をつまらせながら答辞を読み上げていた。普通に高校を出た皆と比べれば3年遅れたけれども、その3年の価値はとても重い。堂々の卒業式だった。たった数ヶ月だけれども、K君の担任をすることができて幸せだと思った。K君以上に涙でぼろぼろな私だった。
 卒業おめでとう。
 素敵な卒業式が2回あった2005年3月1日は、私にとって忘れることのできない日となった。
 やっぱりこの仕事はやめられない。 


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