Z5009 03月15日

ヒトなんだよ。

 さてつづき。
 卒業を祝う会は午後12時から開始だったのだが、不覚にも前日の深呑みがたたって、30分の遅刻をしてしまった。出席していただいた方々の、人生における貴重な30分を無駄にしてしまったことを真っ先に詫びつつ、30分遅れで会が始まった。乾杯、保護者の方々の挨拶、そして改めて私も一言挨拶をさせていただくと、我が家の宝物になるような記念品をいただいてしまった。それについては、機会があったら触れさせてもらおうと思う。だってもの凄く素敵で深いモノなんだもん・・・。そして会は進んでいった。
 こういった所で書くのも良くないと思う(てかNegativeだからなんでもアリってことで)のだが、お陽様が高いうちから呑む酒ほど美味しいものはない。しかも卒業式の後、保護者の方々に労をねぎらってもらいながらの酒である。労をねぎらってもらう程、労を費やしていなかった(かもしれない。というか間違いない・・・)1年間だったので、心半分以上は申し訳ない気持ちがあったけれども、美味しいったらありゃしなかった。
 お陽様はさておき、美味しい理由はふたつある。ひとつ目はそのお店だ。そこは件(くだん=例の)の鮭塩定食を食べさせてくれる割烹料理屋である。美味しくないわけがないのである。もちろんその日は皆で鮭塩定食を食していたわけではない。座敷の座卓の上には割烹料理屋ならではの、それなりの品々が並んでいた。どれを口にしても大将の技が効いているのである。私は普段ほとんどツマミを摂らないのだが、昼間ということもあってバクバクと食べていた。これは物理的な美味しさである。
 ふたつ目は、呑まさせてもらっている相手が最高だということだ。お酒というものは、何をツマミに呑むかだとか、どこで呑むかだとかで美味しくなるわけではない。誰と呑むかということが一番大事だ。方や立派な親御さんとして、方やいい加減ないち教師として、同じヒト(お子様=生徒)と接していたという点で共通項があるし世代も近い。それよりなにより、大好きな彼らの親御さんである。だからこそ同じ時間を共有できて嬉しいし、そこに酒があればことさら美味しい。会話をしながら過ごすその時間は、人生においてとても価値のあるものになる。以前にも何度か経験しているが、保護者の方々と酌み交わす杯は本当に素敵なのだ。これは精神的な美味しさである。
 こう書くとひとつ目の理由とふたつ目の理由と、ハナシがかみ合っていないじゃないか、と言われてしまうかもしれない。でもね、そうぢゃないのね。ふたつ目が最優先で、そこにひとつ目がかみ合ってくれば、その場は最高になっちゃうんだよ、ということなのね。私にとってはふたつ目の精神的な美味しさこそ、酒を呑む時に最も重要視することなのだけどさ。
 だからこそ酒は相手によって呑むか呑まないかが重要になってくる。基本的に八方美人だった私は、今までは我がままがあっても押し通さずに自分の中で押さえていることが多かったし、そういう席には積極的に顔を出す方であった。が、ここ数年はワケ(話すと長くなるのでまたそのうちにね)あって酒を呑む相手にはこだわるようになった。今は唯一、誰がなんと言おうと譲れない部分である。その分他の面で以前 「Positive」 に書いた、「ガマンとワガママのバランス」 を保っているつもりなのね。申し訳ないんだな。
 さて、それはさておき、その店は2時までだったので、その後はファミレスに流れて引き続き呑んだ。宵の口(よいのくち=日暮れってこと)になり、繁華街の灯りもともってきたので、3件目は居酒屋に流れて呑んだ。気がつけば時計の針は8時を過ぎていた。8時間も呑む(語る)なんて、ウチの保護者の方々もかなりお好きなのね・・・。
 こんな感じで締めくくっていただいたこの1年は、偶然ともいえる縁から多くの出会いが始まった素敵な1年だった。そしてこの日はそれがぎゅぎゅーっと、凝縮された1日だった。ありがとうございました。
 縁と出会いとは、なんとも素敵なものだろう。 


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