ZP28  03月22日

実はね。 

 インターネットというものにはまり始めた頃は、ケーブルつなぎっぱなし契約を良いことに、寝る間も惜しんでマウスをクリックリっと転がし、キーボードをカニャカニャ(私のPCはこういった音がする)っと叩いていたものだ。
 出来るだけ多くのサイトを巡って共通項を探して書き込みをし、それに対するレスポンスを読む。そして再び書き込みをする・・・・・・こういった作業に没頭していた時期がある。「凄い時間に書き込みをしてますね」 「コチラにもいらしてたんですか」 「確かにその通りですよね」 「私なんか〜ですよ・・・」 ・・・もうほとんどチャット感覚、我こそ書き込み大王だ、てな感じの掲示板使用である。
 私の好きな酒の席にたとえると、ちょっと大き目の宴会の席上で、あちらこちらにお酌をして回り、その先々で相手以上に御返杯を飲み干して、挨拶しながらも 「もっと飲みなさいよぉ」 と威嚇してしまうヒト、といった感じだろうか。他人に対して良い顔をしつつ、自分って凄いでしょ、をアピールするタイプだ。今考えれば異常な程のネット活動である。
 それもそのはずで、ネット開通した当時は、10ヶ月程別居中だった妻と書類上他人になったばかりでもあった。他人といえど、2人で食事や買い物は普通にしていたし、お泊りだってありだった。周りからみたら理解し難い関係だったっかもしれない。それでも家へ帰るとひとりだというさみしさを、ネット活動をすることでカバーしていた。だからこその異常なネット活動だった。なんだかんだと気持ちはずーっと彼女の方向の私は、基本的に凹んでいたようである。
 そんなこともあり自身のホームページの開設日を、どうしても入籍(式は挙げられなかった)記念日であった2月1日にしたかった。別にその日にしたからといって別居が解消されるわけでもないし、関係が改善されるわけでもない。何かすがれる部分を残しておきたかった。ま、なんというか未練がましい男である。
 ほぼ1年前のある晩、自分はドラマか何かの主人公ではないかという位、思いもしない事態が起きた。こんなこと本当にあるのか?という感じだった。その結果、彼女の居所がわからなくなり、連絡さえとれなくなった。一睡もできなかったその翌日からも、もちろん通常通りの日々を過ごしていた。基本的だった凹みは、本格的な真の凹みになってしまったが。
 凹んでいても何も改善されないことは私が一番よくわかっている。サイト運営も含めて、仕事を中心に過ごしていくしかないと感じながらも、更にネット漬けの生活に陥っていく私がいた。ところが悔しいかな、1年間も時間が経つと、人間自分が見えてきてしまうもので、なにもそこまでネット漬けにならなくても良いだろうと思えるようになってきた。職場に行けば彼等がいるだろ、いつまでも悩んで凹んでいる場合じゃないだろ、というスタンスだ。どっぷりと漬かっていたネット環境から足を洗い始める私がいた。次第にお世話になっていたサイトに足しげく通えなくなっていった。
 現在だって特に環境が変わったわけではない。彼女とは連絡もとれないし、安否だってよくわからない。表向きはただのネット不精などと誤魔化していたこともあるが、実のところはこういったことだったりする。
 ネット漬けなんて書き方をしてしまったが、オンライン、オフラインを含めて、ネット関連の人達にかなり支えられたのは事実であり、感謝しているのもまぎれもない事実である。もちろん一番支えられたのは、毎日顔を会わせていた彼等の笑顔だった。
 職員にも話してなかったこのことは、感謝の意を込め、彼等にだけはついついバラしてしまった卒業式だった。
 ありがとうございます。 

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