年に数回。大泣きすることがある。
「五月病」なんて言葉があるが、日記を紐解くと不思議にその「大泣き」の周期が
符合していて驚く。
正直言えば、悩まない日はない。
ただ、出来るだけ気付かない振りをして、前を向いて笑おうとしているだけだ。
そうしながら毎日が淡々と過ぎていく。
明るくしている人ほどその心に知らず知らず澱(おり)がたまるし、
時々その澱をかき回されることもある。
濁り水の中では生きられない魚のように、心の澱を捨て去りたい気持ちが
しだいに募るのだろうか?
「なみだ」は度を越すと目蓋を腫らしてしまうものだが、
そうすることで心の中に少しだけ灯りが灯る気がする。
先が見えなくても、とにかく落ち着けるように
「灯り」だけは用意された自分になれる。
涙と一緒に流れるもの(汚いので伏せますが)もあるが、
そちらも度を越すと口の中が渇いてしまうようだ。
心のバランスが崩れると体の水分バランスまで一緒に崩れるなんて・・・
可笑しな話だ。
(5月27日更新)
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