私の思いつくまま「丸山町夏まつり」の歴史
                                  黒川 貞幸

はじめに 
 丸山町の夏まつりについて、私の思いつくまま、気のつくまま、ここに書いてみます。あまりにも時間が過ぎてしまいましたので正確ではないかもしれません。また、間違いもあるかと思いますがこんな事もあったなあとお気軽な気持ちでお読み下さい。第1回からかかわってきた私として、これからの人に受け継いでもらいたいほど年数が経ってしまいました。
 昭和47年7月16日に、当時まだまだ交通事情が車優先から人優先に代わり始めた時代であった。丸山町で「ミニ歩行者天国」をやろうと、育成会・PTA丸山町協議委員会共催で小暮ストアーさんから、茂木さん間の道路で開催しようと話が持ち上がった。その時の育成会長さんが荒井昇平さん、協議委員長が諸藤良子さんでした。まずは、警察署へ道路使用許可書を申請に行ったところ大変良いことであるが沿道の皆さんに、迷惑のかからないように、また、趣旨に賛成してくださるように指導があり、まずは、無記名で往復はがきによりご意見を頂戴した後、各家に行き同意書に印をいただき警察署交通課へ再度訪署したところ、これだけ熱心にしてくれるなら、各新聞社に報道して頂きましょうとの話がありました。
 当日は、10時より5時までの時間で、各役員により交通監視係、指導係、行事係など役員の役割によりスタートしました。子供たちは喜んで100名以上の参加があり、この日だけは車の心配のない道路で落書きをしたり、ボールで遊んだりした。その頃は交通が激しくなり御輿渡御の許可が下りなくなり、PTAでは、相生地区町内の御輿を相生小校庭に集め子供たちにもませる状態であったので、距離は短いが町内で御神輿を安心して、もめる事で満足したのは、どうも大人たちのような気がしました。
 警察署長さんをはじめ交通課長さんや新聞記者さんが、市内紙、県内紙をはじめ中央紙のみなさんまで来てくれ写真を撮ったりインタービュウをされたりされました。翌日の新聞には読売、毎日、下野、栃木新聞、両毛新聞をはじめ市内紙は勿論記事を掲載されたが朝日新聞だけは掲載されていなかった。その翌日朝日新聞を見たら全国版第二社会面に「ミニ歩行者天国東京丸の内・足利でも実施」との見出しで掲載されてるではないですか。(時期が過ぎたのでこの事は以下を書きます)それを見た栃木県警より18日付けで県警通達が出され内容は「ミニ歩行者天国を奨励せよ」の県内各署に通達があり市内学校長宛この事項が伝えられ翌年警察署長さんは特進栄転されました。


育成会時代

 
丸山町夏まつり(このころは婦人部の納涼踊りから「納涼まつり」と称した)は、その翌年から始まる。育成会長さんが、荒井さんから、河内正明さんに代わった。先のミニ歩行者天国の中で御神輿等の要素が、昔よりだんだんと薄れて来た時代でもあり新しく会長さんになられた河内さんより、昔の薄暗い中でアセチレンガスによる灯の下の夜店、その匂いの懐かしさを子供たちに体験させようと夜店まつりをやろうと話が持ち上がった。その話には祭好きの私はすぐに乗り何時どこで何をの協議がなされた。それではお盆明けの16日・17日の二日間婦人部による納涼踊りを自治会館前広場(当時は丸山町集会所と称した)で行われていたので、その時行ってはとの話にまとまり、やきそば、みそおでん、ところてんの3種類が決まったが、道具は?仕入れ先は?いくらで販売?等々色々協議された。焼きそばは杉江製麺、蒟蒻・とところてんは川崎蒟蒻店より私が仕入れ引きを受け、販売価格は一食30円であったと思います。火の方は小島さんが昔、紺屋で使っていた大きい練炭がありとの話で協力して頂き、その後も3年位使わせてもらった。その時は当日券のみでどの位売れるかも解らず追加追加で、駆けずり廻ったのを思い出します、調理も大変であった。夜店の照明は私が担当したが、電気はどうしているかとの東電OBの諸田さんから指摘もあったが自治会館敷地内で使うのだから自治会館の電気を使うので良いのではと話したことも思い出します。
 これを「丸山町夏まつり」の第1回としている。



 翌年第2回は、前年の反省により前売り券を出し当日券も出す事にしたのは、他の町内の子供たちが遊びに来てくれても町内の子供たちと、一緒に食べたり遊んだり出来るので大変喜ばれ今でも続いている。この時は、品数も少なかったせいもあり700食から800食もの売り上げがあったのは良かったけれど人出が多くなり自治会館前広場がいっぱいになり「婦人部納涼踊り」のレコード音が聞こえないというクレームが付き、その翌年から同時開催はなくなった。また、演芸の始まりである野外映画会を開催した。これは育成会行事の中に映画会があったものをこの夏まつり同時開催ということで私が昔の職業を生かし足利市視聴覚係の映写技術者の免許を取り映写をした。
 第3回は、婦人部の納涼踊りの日程と別の日に改め、現在の7月最終日曜日に改めた。この年は簡単な舞台を自治会館縁側の前に掛け、内容として「太田市役所」の八木節チーム一行20数名を招いたり、こどものど自慢大会を行ったが夕立に遭いさんざんのめに逢った。音響はそのころ私の趣味で担当したが電圧が下がり大変苦労した覚えがある。
 第4回は、舞台の方は八幡町「八幡太鼓」のチームを招き、夜店の方も品数がだんだんと増え5品位になった。おでんのみそたれの仕込みが大変であり、女性の方からもう嫌だといわれ私が一人で作ったような気がする。
 第5回は、映画会を開催し翌年の自治会「八坂神社夏まつり」と同時開催に続くことになる。またここでおでんのみそだれの話が出てくるが、みそ2に対し粗目砂糖が3にして粗目砂糖をあめ状にになるまで煮込みいったん火を消し味噌を入れるこれが早く仕上げる方法と考えしばらくの間これが続いた。

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