好きな音

私の好きなミュージシャンやバンドについてアトランダムに書いていきます。雑食性。

 

LYNYRD SKYNYRD(レイナード スキナード)  米
このコンテンツのタイトルもこのバンドの曲からいただいたので、まずはコレから。
高校の頃、兄の部屋からよく「オールマンブラザース」が聞こえてきていたので、自然とサザンロックといわれる分野が気になり始めていた。中学のころはまったブリティッシュな音よりも、アメリカンカンカンな音の方が心地よいと思い始めていた時期でもあった。
兄の部屋からは聞こえてこなかったが、FENラジオでよく流れていた、かっこいい曲がどうやらこのバンドの曲らしいとわかったこともあり、「コレを買えばきっとあの曲も入っているに違いない」とLP2枚組みのライブアルバムを買う。例の曲もどんぴしゃ入っていた。
残念ながらずっぽりとハマりはじめた頃には、不慮の事故により解散を余儀なくされたあとだったため、残された音と映像にすがりついていたのみ。
平成6年に再結成で再来日した時は、北関東からクラブチッタ目指して大爆走。涙がちょちょ切れんばかりの感動をもらった。丁度仕事も行き詰まっていたころだったのだが、コレを境に何事に関しても前向きに挑戦していこうという意識を芽生えさせてくれたステージでもあった。
3人のギターのうち、お気に入りはエクスプローラがお似合いのアレン・コリンズ。もっぱらコピーするのは彼のパートとフレーズばかりだった。解散後に作った「ROSSINGTON COLLINS BAND」も中々のモノだったのだが、やはりこのバンドは私にとって特別。病気でこの世を去ってしまったアレンに合掌。
ちなみにFENで聞いたかっこいい曲は 「SWEET HOME ALABAMA」。 

 

TENSAW(テンソウ)  日
基本的に洋楽少年だった私の、数少ない好きな邦楽バンド。
多感な青少年期を横浜で過ごしていた私の、映像による音楽情報のメインはテレビ神奈川「ファンキートマト」「ファイティング80’S」だった。そこらあたりで紹介されたか、音楽関連誌のトピックで紹介されたかは定かではない。「オレ達横浜じゃん」というキーワードがあったかなかったかも定かではないが、なぜかフレーズが心に残る。
いつも通っていたレコード屋で、ファーストアルバムの帯に「ゲストミュージシャン・チャー」の文字を発見したことによりアルバムを購入。ボーカルのセイボーの声もさることながら、バックの音(特にベース)にもゾクゾクするものを感じる。残念ながらナマで観たことはなかった。
自分の地元に近いことも気に入ってしまうといった理由付けだったかもしれない。こうして書き綴ってみると案外いい加減な理由で気に入ってしまったことがわかってきた。そもそも「帽子が青い」ということから、子供の頃にドラゴンズを応援することを決めた人間なので、仕方がないと言えば仕方がない・・・

 

RICKIE LEE JONES(リッキー リー ジョーンズ)  米
この世にご機嫌な女性ミュージシャンは数多くいるけれども、一番好きなのが彼女になる。1作目は問題なく「お勧め皿」に入れてもおかしくない出来。2作目以降の、音の広がりやら何やらが私の琴線に触れてしまっているようだ。後続で似たような声質のアーティストがいくつか出てきたようだが、彼女のようにどっぷりと聴きたい、と思うような音はなかった。
彼女と出会ったきっかけは(伝言ダイヤルで・・・とかボケをかましている場合ではない)おそらく、小林克也氏の番組か、ステレオ音楽館だったであろう。ディストーションのかかったギターサウンドが横行する中、ほっと一息つけるような声と音。しかしながらバックを固めるその音には、こだわりの音職人たちの魂のようなものがびんびんと感じられた。「おお、こういう人たちがスタジオミュージシャンなのね」と認識もさせてくれる出会いであった。
深夜小雨が降る中、一人で車を運転しながら聴いた時に「ほおおおおおお〜ぅ」「いいなぁ〜」なんて一人でにやにやしていたっけな。

 

JOHN MELLENCAMP(ジョン メレンキャンプ)  米
なんだか最初はラジオや件のテレビ音楽番組で、「青春の傷あと」「ジャック&ダイアン」あたりがよくかかっていた。「なんだかイカシてない兄ちゃんが歌ってるのう」程度の認識しかなかったのだが、当時の友人の「カッコいいよな、ジョン・クーガーって」の一言で認識が意識になる。なにせこの友人、中学2年の時に名古屋に引っ越してしまい、たまに遊びに来ていたのだがそのうち音信不通に。大学はR教に入学した為、再度こちらに来たのだがその後消息不明。一番会いたい友人である。音楽的なルーツはまるで一緒かソレ以上。中学2年の時、ジャコパスのソロを買った私に対し、彼はディメオラを買っていた。野音のチャーに一緒に行った。御茶ノ水ESPも一緒に行った。グヤトーンのローリーで盛り上がった。自販機で初めてコンドームを買った時は彼と長野氏(PositivebQ1参照)と私の三人で二個ずつ分けて、翌日学校でお互い牽制しあっていた・・・とにかく良い影響を与え合っていた。元気なのか「白川哲也」。
意識し始めたら早い、音も声も全てがカッコよく聴こえてくるのである。ムツゴロウにはまり、「動物王国に行きたい!」と思ったように、「インディアナの菜の花畑の中でのんびりと余生を過ごしたい!」と真剣に思い、当時創刊されたばかりの「週間朝日百科・世界の地理・アメリカ」を毎週購入し、インディアナ州が特集されるのを顔を大きくして待っていた程である。
アルバム「Uh-Huh」内「Pink Houses」は歌詞も曲もビデオクリップにもやられてしまった。画質は悪いがテレビ神奈川のMTVで録ったモノは永久保存モノである。「Pink〜」はここのコンテンツ名にしようかとも思ったのだが、ロビー・ロバートソン(あっ、テレ達だ)に怒られそうだし、どこかの服屋に間違われそうなので、仕方なくあきらめたのである。まあそれ位好き音だということ。
つくづくこういった音作りに弱いのだなあと感じる。

 

PRINCE(プリンス)  米 
出てしまいました、殿下です。認識し始めたのは「レッツゴークレイジー」なんて曲が出始めた頃。スズキLOVEというスクーターのCFでマイケルジャクソンなんかが取り上げられて、やたらと両者が比較されていたあたりだと思う。かたやダンスもうまくてカッコよく、腰をクイックイとすればセクシーと言われるのに、同じコトをやっても下品と言われていたあたりに、共感が持てたのかもしれない。
先にはまったのは当時付き合っていた彼女の方で、最初は付き合いで聴いていた面が多かった。毎度のように聴かされているうちに、だんだん自分のものとして意識し始めた。聴けば聞くほどカッコよい、ライブビデオを見れば見るほどカッコよいなんて思うようになっていく。各メンバーとのステージ上でのコミュニケーションはもとより、ひとつの「ファミリー」としてのエンターテイメントに、同じバンドマンとしてかなりの影響を受けたし、共感も持てた。
派生してミネアポリスサウンドと言われる面々、「ザ・タイム」から「ジャム&ルイス」に行き「アレキサンダー・オニール」にもはまっていくのだが、とにかく彼の才能には、ただただ頭が下がるのみである。来日時のライブは行かずにはいられなかったし、ライブビデオや、出演映画「アンダー・ザ・チェリームーン」等は全てヨーチェキラーしていた。 足利は渡良瀬川の河川敷で「シーラ・E」のライブ(こんなことがあったのだ)があった時などは、雨にもかかわらず大騒ぎするわ、告知ポスターはいただいちゃうわ(我家の厠にて公開中)、大変なものだった。
そういえばギターテクを評する時に、ジミヘンともよく比較されていた気がするのだが、今思うと何くだらない事を比べて・・・なんて思ってしまう。現在車のCDチェンジャー1枚目はアルバム「GOLD」が常設されていて、事あるごとに「エンドルフィンマシーン」(K1のテーマ曲)でテンションアップを図っている私がいる。今日もがつーんと行きまっせーってな感じになるのだな、コレが。

DREAMS COME TRUE(ドリームスカムトゥルー)   日 
ええーっ?ド・ドリカム〜。なんて思わないように。コレでも筋金入りのファンだったりする(ある意味カミングアウトじゃ)。口の大きな女性には弱い(今井美樹・東ちづる・Sタイラー・・・ん?)ということもあるのだが、なにしろ音楽性にやられた。ファーストが出たあたりからFMなどで歌声を聴き、「ほおぉ〜、気持ちのよい声に歯切れのよい音だな」なんて思い、CD聴き始めたのが始まり。
彼らがだんだんでかくなっていく過程は、一応見届けていたつもりだが、渋谷公会堂・NHKホール・代々木体育館とキャパ大になるにつれてライブからも足が遠のいてしまった。
だいたいこのグループは「歌詞がいいの〜」「女心そのものよね〜」なんてトコロからファンになる人が多いようなのだが、私ゃ先にサウンド、当時仲のよかった女性に「歌詞がいいんだよ」なんて言われてから、歌詞がついてきた。核となっている中村氏の好きな音楽をたどってみると私が心惹かれてしまったのも納得。黒いのが好きなのねん。
ファン層は圧倒的に女性が多いと思うのだが、中村氏の才能と美和嬢ののりと西川くんの・・・があれば男性ファンの獲得だってたやすいはず。和田アキ子同様、もっとソウルフルに、ダイナミックに、自然と我々の首やら足やら肩が揺れてくるようなサウンドを期待してしまうのだね。
なんて書いてしまったのだが、思いでもいっぱいなのさ。カラオケなら負けない自信あり。

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