なぜオランダは風車が多いのか

風車が点在する理由
オランダに風車が多い理由は、水位管理と土地の干拓に風車が使われてきたため。
大部分が低地のオランダは、水を排水し、干拓地を作り、洪水を防ぐために風車が利用されてきた。
水管理の必要性が、風車の発展と普及の原動力となり、風景や文化に組み込まれ、オランダの象徴となった。
【デルタ地帯の低湿地】
ライン川、マース川、スヘルデ川の3つの大河が作り出したデルタ地帯のオランダは、国土の約26%が海面下にあるため水位管理が不可欠で、継続的な努力が行われている。オランダ地域は10世紀頃に人口が増え、人々は内陸から水分の多い泥炭地まで広がり、泥炭地に排水路を掘って開墾が行われるようになった。燃料となる泥炭の採掘も始まり、窪地と水面が広がった。洪水の危険が高まり、水位管理が課題となってくる。
【堤防の建設】
12世紀になると堤防の建設が始まる。長い時間をかけて2重、3重に堤防を築き、沈下する堤防を徐々にかさ上げしたり、危険なところに予備の堤防を造ったりして国土を守った。13、14世紀には領主も管理人を派遣して住民と共に治水に取り組んだ。北部では、紀元前5世紀頃には沿岸部に住む人が増えていき、満潮の対策に造られた盛り土の上で生活した。この盛り土は「テルプ」と呼ばれ、47年に古代ローマの博物学者プリニウスがテルプについて記述を残している。
テルプ用の土は水路になるように掘り出され、小舟で往来できた。テルプは面積を広げていき、船着場が整備され、物資の輸送などの経済活動にも使われた。12世紀頃から海岸線に沿って堤防の建設が進むと、テルプは役目を終え、次第に姿を消した。
【風車の登場】
風車の技術は13世紀にフランスとドイツから伝えられたといわれ、当初は製粉に使われていたが、オランダ人は排水に利用することを思いついた。排水用の風車が初めて現れたのは1407年頃のアルクマールで、その後急速に普及した。風車は、水路や堤防の建設といった水管理の経験と組み合わされ、水に対処するための方法を発展させた要因となり、オランダの風景や文化の象徴となっていった。
オランダの地理的な特徴や気候とは
風車による干拓
排水に使われていた風車は、16世紀になると干拓に利用されるようになる。泥炭の採掘でできた池や湖沼の排水をして、干拓地を作り出すことが始まった。風向きに合わせて向きを変えられる風車が1526年に発明され、排水能力は大きく向上した。
オランダ黄金時代には干拓事業が広く展開され、採掘で失った土地を取り戻すばかりでなく、新たな土地を生み出した。ホラント州北部では17世紀に48件の干拓事業があり、約2万7千ヘクタールの土地を獲得したとされる。
もともと低湿地の土地をさらに掘り下げたので、干拓地の多くは海面下の土地となって現れる。こうした干拓地は「ポルダー」と呼ばれ、オランダの国土の約26%を占める。
オランダの歴史の概要とは
風車による干拓は、3段階くらいに分けて行われました。1基でかき出せる水の高さは1.5m程度だったので、堤防と排水路を作り、段階ごとに排水しました。これを段階式排水と呼び、風車群の美しい風景のもととなりました。
風車による排水の仕組み
風を受けて風車の羽根が回転すると軸も回転します。歯車を介して水を汲み上げる部分に回転運動が伝えられます。干拓はまず高い場所に風車を作り、水を汲み上げて排水路に流します。水位が下がったら次の風車を作り、排水を続けます。
※簡易的なイメージ図
風向きに合わせて回転する風車には、中心の柱を軸に風車全体が回転するものと、頭の部分だけが回転するものがあり、この風車の発明で排水能力が向上しました。17世紀になるとスクリュー式ポンプが登場し、さらに効率的になりました。
スクリュー式ポンプは、古代ギリシャの数学者アルキメデスが考案した方法に基づいています。巨大なネジ型の装置を回転させて水を効率的に汲み上げるので、風車がより高く、多くの水を排水できるようになりました。
現代の風車
風車の排水の役割は電動ポンプに置き換えられ、効果的な水位管理や排水が行われています。また、オランダは風力発電技術に積極的に取り組んでいて、風力タービンが再生可能エネルギーの生産に貢献しています。オランダ風車は、多くが保存され、歴史的・文化的な価値を持つ象徴として展示されています。観光客など、訪れる人々が風車の内部を見学したり、風車の歴史や技術について学んだりできる観光名所として人気となっています。