オランダ黄金時代

意味・解説
オランダ黄金時代とは、17世紀のオランダが経済的、文化的に世界的な地位を築いた歴史的時代を指す。
政治、経済、芸術、科学、貿易など、さまざまな分野で繁栄した時期。
オランダとのつながり
オランダ黄金時代は、おおよそ17世紀にあたる、オランダが最盛期を迎えた時期。
オランダは海上交通の要所の位置にあり、航海技術の発展や商業活動の中心として繁栄した。特にアムステルダムは、商業と金融の中心地として成長した。
世界最古の証券取引所であるアムステルダム証券取引所では、取引が活発に行われた。
中世以来、主食穀物の自給に乏しいオランダは貿易が最も重要で、造船が盛んに行われました。風車を動力にして製材し、17世紀には年間2千隻を進水させ、ヨーロッパ全体の約6割にあたる1万5千隻がオランダ船だったとみられています。
ニシンをはじめとする漁業、チーズやバターなどの乳製品、野菜、果物、花卉、ホップなどの栽培に、ライデンを工業都市に成長させた毛織物工業、ハールレムを発展させた亜麻織物漂白業などの産業が加わり、オランダ経済を拡大しました。
自由主義が進展した時期で、宗教的に寛容な政策をとっていたオランダには、少数派や亡命者が保護されるなど、市民の自由が尊重される環境が整っていました。
大都市では新聞が発行され、さまざまな情報が市民に届けられました。フランス語版も発行されていて、パリの人がオランダの新聞からフランスの情報を得ていたといわれ、ロシアも貴重な情報源として注目していたようです。
オランダの寛容な風土は、科学者や思想家を引き付けました。ホイヘンスやレーウェンフックなど、たくさんの科学者が重要な発見や発明をしました。
出版業も栄えました。まずオランダで作品を出して反応を見るという人もいて、デカルト「方法序説」、ガリレオ「新科学対話」、ホッブス「市民論」、ロック「人間悟性論」「寛容に関する書簡」などが代表的なものです。
芸術の最盛期でもありました。レンブラントやフェルメール、ロイスダール、ハルスなどの画家たちは幅広いジャンルで活躍し、優れた作品を残しました。肖像画や風景画、静物画、歴史画などに加え、庶民の日常も描かれました。
日本との貿易も始まります。1609年、オランダ東インド会社(VOC)が平戸に商館を設置し、1641年からは出島に移り、鎖国中の日本と貿易を続けました。
VOCの設立で株式を発行したことから、アムステルダム証券取引所も設立したとされます。後に他の会社の取引も行われるようになり、市場の中心として成長しました。現在もユーロネクスト・アムステルダムとして運営されています。
一領土が繁栄を極めるまでの移行は、歴史家によりオランダの奇跡と呼ばれています。オランダ黄金時代の経済力や芸術文化の発展の影響は、現代のオランダの基盤となっていて、オランダの文化や歴史に大きな影響を与え続けています。
オランダ黄金時代はいつからいつまでなのか
期間については異なる見解があり、具体的に示すことは難しいです。芸術家や商人たちが活躍した時期に基づいた定義や、歴史的な出来事に基づいた定義などがあり、性質上その境界を決定することは簡単ではないと思いました。広義には、独立宣言やアントウェルペンの陥落で熟練工や商人たちがオランダに逃れてきた1580年代頃から、バタヴィア共和国成立の1790年代頃まで。狭義には、VOC設立の1600年代頃から、ユトレヒト条約成立の1710年代頃まででしょうか。
オランダ黄金時代の最盛期は、独立承認の1640年代頃から、厄災の年の1670年代頃までだと思います。