オランダゆかりの物事典

蘭学

アムステルダム国立美術館研究図書館

意味・解説

蘭学とは、日本の江戸時代に行われた西洋の学問や知識の研究、それを学ぶための学問。

当時の日本において西洋の文化、科学、技術、医学、地理学などの知識を導入するために重要な役割を果たした。

オランダとのつながり

「蘭学」の語源は、オランダを通じて西洋の学問や文化、技術が導入されたことに由来する。「蘭」はオランダを指し、「蘭学」は西洋の知識を指す言葉として広まった。

オランダと日本の貿易は、1609年にオランダ東インド会社が平戸に商館を設置して始まりました。1641年にオランダ商館は出島に移され、オランダは鎖国の中ヨーロッパで唯一日本と貿易を行いました。

オランダはオランダ黄金時代と呼ばれる時期を迎え、さまざまな分野で繁栄していました。日本はオランダとの交流を通じて西洋の知識を導入しました。

有名な蘭学者のごく一部

蘭学を学び、研究し、日本に導入した学者や研究者は蘭学者と呼ばれます。

・杉田玄白と前野良沢:オランダ語で書かれた医学書を日本語に翻訳し、本格的な解剖学書「解体新書」を出版しました。

・宇田川榕庵:オランダ語の翻訳を行い、蘭学の普及に貢献しました。水素や白金、金属、温度、成分などの用語を生み出しました。

シーボルト:「鳴滝塾」を開いて西洋医学を教え、日本の医学の発展に貢献しました。日本の自然や文化を研究し、西洋に紹介しました。

・緒方洪庵:天然痘の治療に大きく貢献しました。天然痘の予防接種を行い、感染の拡大を抑制したことで多くの人々を救ったとされています。

蘭学の一部として発展した西洋医学は「蘭方医学」呼ばれ、蘭学の一環として西洋医学の知識を学び、それを実践する医師は「蘭方医」と呼ばれます。通常、蘭方医は蘭学者でもある場合が多いです。

蘭学塾と慶應義塾大学

蘭学を学ぶために設立された学校や研究機関は「蘭学塾」と呼ばれ、江戸時代末期には蘭学塾が多く設立されました。蘭学塾の一つは福沢諭吉により慶應義塾と名付けられ、後に「慶應義塾大学」となります。

蘭学は、明治時代における近代化と産業化の基盤となりました。西洋の文化と知識が日本社会に導入される過程で重要な役割を果たしました。

なぜオランダは鎖国でも貿易できたのか