オランダゆかりの物事典

八重洲

オランダ船

意味・解説

八重洲とは、東京都中央区の地名。多くのオフィスビルや商業施設などが集中している、日本の経済の中心地の一つ。

交通の便が良く、繁華街が近接しているので、ビジネスや観光で訪れる人々にとって便利な場所となっている。

オランダとのつながり

通訳、貿易家として活動したオランダの航海士ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(Jan Joosten van Lodensteijn, 1556? - 1623)が八重洲の地名の由来。

ヤンヨウス/ヤヨウスなどと呼ばれたヤン・ヨーステンは、耶楊子(やようす)などの漢字があてられ、これが後に八重洲になったとされる。

1600年、日本に漂着したリーフデ号は初めて日本に着いたオランダ船とされていて、ヤン・ヨーステンはその乗組員でした。現在の大分県臼杵市の人々は難破船から乗組員たちを助け出し、その一方で珍しさから船内の物を持ち去りました。

リーフデ号は19門の大砲や鉄砲、火薬、砲弾を積んでいました。110人いた乗組員は航海を終えたときには24人になっていて、その中にヤン・ヨーステンと三浦按針ことイギリス人のウィリアム・アダムスがいました。

地図や航海、造船の知識などを持っていたヤン・ヨーステンとウィリアム・アダムスを幕府は重用しました。領地や屋敷、幕府の相談役の地位を与えました。彼らの忠誠は幕府からの朱印状(通称許可証)をもたらし、日蘭貿易につながります。

リーフデ号が日本に到着した1600年代から、日本とオランダとの交流がはじまりました。船尾に付いていたオランダの哲学者エラスムスの木像は、栃木県佐野市の龍江院が所蔵し、現在は東京国立博物館に寄託されています。

17世紀のオランダは、オランダ東インド会社を通じてアジアと貿易を行っていて、オランダ商人が日本の貿易拠点として長崎に居住するようになりました。

17世紀後半、鎖国で外国人の活動が制限される中、オランダは特例として貿易を続けることが許され、出島に移されたオランダ商館から貿易が行われました。

19世紀、日本が貿易と外交関係を広げることを模索する中、ペリーが来航し開国を迫ります。日本の文化と情勢に詳しいオランダは、直接的な貿易や外交交渉に乏しかった日本の開国に協力しました。

オランダの知識や技術は、日本の近代化に大きな影響を与えました。開国後もオランダとの関係は続いていって、現在も経済的なパートナーとなっています。

オランダの歴史の概要とは