なぜ天童市が駒の名産地なのか
将棋駒の生産地として山形県天童市が有名になった経緯や天童将棋駒の材質と特徴についてです。
将棋駒の生産地と材質
将棋駒は、16世紀末に京都で将棋指しが職業化し始めたころから、駒材は黄楊を最上とするようになりました。国産の黄楊は「本黄楊」と呼び、高級駒のほか櫛や算盤玉などにも使われます。
天童将棋駒
山形県天童市が将棋駒で有名になった理由は、江戸時代末期から天童藩主の織田信学が下級武士の手内職として、駒の製造を奨励したことに始まります。
天童市の名が知られるようになったのは昭和になってからで、現在では全国生産高の約90%以上を製造しています。
安価で良質な大衆駒を作ってきましたが、技術・技法を受け継ぎ高級駒の生産地としての評価を高めました。伝統工芸士が作る天童将棋駒はプロ棋士のタイトル戦でも使われています。
材質と特徴
上物としては主に御蔵島産(東京都)や薩摩産(鹿児島県)の本黄楊を使い、柾目の正しい材質の中から、形や厚さをそろえて磨き上げるそうです。
参考資料
- 窪寺紘一『日本将棋集成』人物往来社, 1995