オランダの歴史の年表とは

※時代区分とおおよその年代は独自の枠組みです
年代 | 出来事 |
---|---|
前7万頃 | ネアンデルタール人が痕跡を残す |
前1万頃 | 狩猟民族が現れる |
前5000頃 | 農業が始まる |
前4000頃 | 支石墓(ドメルン)が建設される |
前1900頃 | 青銅器時代が始まる |
前750頃 | 鉄器時代が始まる |
前300頃 | ライン川の南にケルト人が進出してくる |
前57 | ローマ人がやってくる/カエサルの「ガリア戦記」にオランダが登場する |
28 | フリース人がローマに反乱を起こす |
47 | 古代ローマの博物学者プリニウスがテルプ(干満対策の盛り土)について記述を残す |
69-70 | バターフ人がローマに反乱を起こす |
256頃 | フランク人が南下してくる |
690頃 | フリース人がフランク王国の支配下に入る |
695 | キリスト教の聖人ウィリブロードが初代ユトレヒト司教としてやってくる |
716 | 宣教師ボニファティウスがフリースラントで伝道を始める |
810 | ノルマン人の侵攻が始まる(-1107) |
841 | フリース・ノルマン侯国成立 |
863 | ドレスタットがノルマン人の大略奪に見舞われる |
885 | この頃初代ホラント伯誕生 |
900頃 | 低湿地の開墾が始まる |
925 | オランダの地はドイツの一部となる |
1100頃 | 堤防の建設が始まる |
1182 | ヘルレ・ズトフェン伯領が成立する |
1247 | ホラント伯ウィレム2世がローマ皇帝になる |
1299 | エノー伯家がホラント伯領・ゼーラント伯領を相続する |
1339 | ヘルレ伯がヘルレ候に昇格する |
1345 | バイエルン候家がホラント伯領を相続する/鱈派と釣針派の抗争(ホラント伯領の相続争い)が始まる |
1407頃 | 排水用風車が登場する |
1421 | 聖エリザベートの大洪水(死者1万人以上) |
1428 | “デルフトの和解”が成立し、ホラント伯領の相続争いが終わる |
1433 | ホラント・ゼーラント伯領がブルゴーニュ侯国の支配下に入る |
1477 | ブルゴーニュ侯国が消滅/マリーがホラント、ゼーラントに“大特権”を認める/低地地方がハプスブルク家の支配下に入る |
1494 | フィリップ1世が低地地方を統治する |
1504 | フィリップ1世がスペイン国王フェリペ1世となる/低地地方がスペインの支配下に入る |
1506 | フェリペ1世がブルゴスで急死 |
1507 | フェリペ1世の妹マルハレータが全州総督になる |
1509 | 人文主義者デジデリウス・エラスムスの「痴愚神礼賛」が出版される |
1516 | カールがスペイン国王カルロス1世となる |
1519 | カールがドイツ王カール5世となり、神聖ローマ皇帝に選出される |
1522 | カール5世が異端審問所(信仰に反する者を裁く施設)を開設する |
1524 | カール5世がフリースラントを併合する |
1526 | 風向きに合わせて羽根の向きを変えられる風車が登場する |
1528 | カール5世がユトレヒト司教領を併合する |
1543 | フェンロ―条約でヘルレ侯国がカール5世の支配下に入る |
1548 | カール5世が低地地方17州をブルゴーニュ領域(クライス)に設定する |
1550 | カール5世が勅令“血の布告”を出す |
1555 | カール5世が退位し、フェリペ2世が低地地方の統治権を継ぐ |
1559 | カトー・カンブレジ条約で低地地方の司教区が再編される |
1566 | 貴族同盟が異端審問の緩和と諸権利を求めて請願書を提出する(その際、政府高官に“乞食ども”と呼ばれたことから誇りをもって“乞食党”と自称するようになる)/聖画像破壊運動が広まる |
1567 | アルバ候が大軍を率いてブリュッセルに到着する/アルバが“血の評議会”を設置して弾圧を始める |
1568 | 八十年戦争(低地地方の反乱)が始まる |
1570 | 万聖節の大洪水(死者2万人以上) |
1572 | “海乞食”と呼ばれる海に逃れていた人々が海上ゲリラ戦でホラント州のブリーレをはじめ周辺も次々と占領する/ホラント州の都市がドルトレヒトに集まり、オラニエ公ウィレムを州の総督に認める/アルバが低地地方を去る |
1574 | ライデンが堤防を切る水攻め作戦でスペイン軍の包囲から解放される |
1575 | ライデン大学の開設が認められる |
1576 | 給料の遅配で統制がとれなくなったスペイン軍が各地で略奪に走り、アントウェルペンで“スペイン軍の狂乱”と呼ばれる大略奪で7000人以上が殺害される/低地地方の全州が合意のもと「スペイン軍の撤退と異端審問の中止、会議の自由な開催と協議」を求めた“ヘントの和約”が成立する |
1579 | 南部諸州がアラス同盟を結成、北部諸州はユトレヒト同盟を結成する |
1580 | オラニエ公に対して懸賞金がかけられ逮捕状が出る/オラニエ公が弁明書を発表する/フランス国王の弟アンジュー候を君主として迎えることに決定 |
1581 | 北部諸州(反乱州)側がスペイン国王廃位令を出す |
1584 | オラニエ公がデルフトで暗殺される |
1585 | フランス国王アンリ3世、続いてイギリスのエリザベス女王に主権の提供を申し出るが、ともに断られる/イギリスとノンサッチ条約(軍と資金の援助)を結ぶ/アントウェルペンがスペイン軍の手に陥落する/マウリッツ公がホラント、ゼーラント2州の総督になる |
1590頃 | 眼鏡職人ヤンセン親子が顕微鏡の原型を発明する |
1596 | イギリス、フランスと三国同盟(グリニッジ条約)を結ぶ |
1598 | フェリペ2世が没し、同3世が即位する |
1600 | 臼杵にオランダ船リーフデ号が漂着する |
1602 | オランダ東インド会社(VOC)を設立する/アムステルダム証券取引所を設立する |
1603 | VOCの最初の船団がアジアに向かう |
1604 | VOCがインドのコロマンデル海岸に拠点を築く |
1608 | アントウェルペンでスペインと和平交渉始まる/眼鏡職人ハンス・リッペルハイが望遠鏡の特許を申請する |
1609 | 十二年間休戦条約が成立する/平戸に商館を設置する/アムステルダム銀行を設立する |
1618 | アルミニウス主義の広がりによる論争を解決するため、全国教会会議がドルトレヒトで開かれる |
1619 | マウリッツ公と対立するホラント州法律顧問オルデンバルネフェルトが処刑される/VOCがジャワにバタヴィア城を建設する |
1621 | 休戦が期限切れとなり、スペインとの戦争を再開する/オランダ西インド会社(GWC)を設立する |
1623 | VOCがアンボン島でイギリス人を虐殺する |
1624 | VOCが台湾を占領する |
1625 | マウリッツ公が没し、フレデリック・ヘンドリック公が総督になる/GWCがマンハッタン島を植民地にする/法学者グロティウスの「戦争と平和の法」が出版される |
1630年代 | チューリップ・バブルが起きる |
1630 | GWCがブラジルの北東部をポルトガルより奪う |
1635 | フランスと攻守同盟を結ぶ |
1636 | アレッタ・ヤコブスが初の女子学生となる |
1637 | エルミナ要塞をポルトガルより奪い、黒人奴隷貿易の拠点にする/公認オランダ語訳聖書完成 |
1638 | VOCがセイロンの征服に着手する(-58) |
1641 | ポルトガルと休戦条約を結ぶ/オランダ商館が長崎の出島に移される/VOCがマラッカを占拠する |
1646 | ミュンスターでスペインと和平交渉が始まる |
1647 | フレデリック・ヘンドリック公が没し、ウィレム2世が総督になる |
1648 | ヴェストファーレン条約が成立し、独立が国際的に承認され、八十年戦争が終わる |
1650 | ウィレム2世が急死する/第1次無総督時代(-72)が始まる/VOCがアンボン島を征服する |
1651 | イギリス議会の実権を握るクロムウェルがオラニエ家の排除と両国で単一のプロテスタント共和国を作るため、大使節団をハーグに送る/航海法が制定される |
1652 | 第一次英蘭戦争が始まる(-54)/VOCが喜望峰を占領する |
1653 | ヨハン・デ・ウィットが28歳でホラント州法律顧問に就任し、事実上オランダの宰相になる/ブラジルを失う |
1654 | イギリスとウェストミンスター講和条約を結ぶ |
1656 | 数学者、物理学者、天文学者クリスティアーン・ホイヘンスが振り子時計を制作する |
1662 | オランダ・フランス同盟条約が成立する/大地図帳アトラス・マイオールが出版される |
1663 | 哲学者スピノザの「デカルトの哲学原理」が出版される |
1664 | イギリスが北米のオランダ植民地ニーウ・アムステルダムを占領し、ニューヨークと改名する/フランスがオランダ製品に禁止的高関税を課す |
1665 | 第二次英蘭戦争が始まる(-67) |
1666 | イギリス艦隊とドーバー海峡で4日間海戦を戦う |
1667 | オランダ艦隊がテムズ河口のチャタムを攻撃する/イギリスとブレダ講和条約を結ぶ/南米のスリナムを獲得する |
1668 | オランダ、イギリス、スウェーデンが三国同盟条約を結ぶ |
1672 | イギリス・フランスが宣戦布告し、第三次英蘭戦争(-74)と仏蘭戦争(-78)が始まる/フランス軍がユトレヒトを占領する/オランダがホラント寒水防衛線を発動する/ウィレム3世が総督に任命される/ヨハン・デ・ウィットがハーグで暴徒に襲われ虐殺される |
1674 | 事業が難しくなりGWCが解散する/奴隷貿易の需要が高いため新GWCを設立する |
1675 | 数学者、物理学者、天文学者クリスティアーン・ホイヘンスが実用的な機械式時計を制作する |
1678 | フランスとナイメーヘン条約を結び、和平にいたる |
1680 | 数学者、物理学者、天文学者クリスティアーン・ホイヘンスが火薬を使ったピストンエンジンを発明する |
1688 | 軍事援助の要請を受けウィレム3世が大艦隊を率いてイギリスに向かう/拡大を図るフランスが宣戦布告し、九年戦争(アウクスブルク同盟(西ヨーロッパ諸国の対フランス同盟)戦争、大同盟戦争とも言う)が始まる |
1689 | ウィレム3世がイギリス国王ウィリアム3世となり、オランダとイギリスが同君連合になる(-1702) |
1697 | レイスウェイク条約で九年戦争が終わる |
1702 | ウィレム3世が没し、第2次無総督時代が始まる(-47)/スペイン継承戦争が始まり、イギリスとともにフランスに宣戦する(-13) |
1713 | ユトレヒト講和条約が成立し、スペイン継承戦争が終わる/オランジュ公国がフランスに併合される |
1720 | 財政危機に見舞われる |
1727 | VOCが広東に進出する |
1740 | 食糧暴動が各地で起こる |
1747 | フランス軍が南部に侵攻する/各地で市政の刷新を求める暴動が起こる/ウィレム4世が全州総督になる |
1748 | 連邦議会がオラニエ家に総督職と全軍最高司令官職の世襲を認める |
1751 | ウィレム4世が没し、再び無総督時代になる |
1766 | ウィレム5世が全州総督になる/無州総督時代が終わる |
1780年代 | 愛国者運動が広まる |
1780 | イギリスが宣戦布告し、第四次英蘭戦争が始まる(-84) |
1781 | アマチュア天文学者エイセ・エイシンガが機械式プラネタリウムを制作する |
1782 | アメリカの独立を承認し、通商条約を結ぶ |
1784 | パリ和平条約でイギリスと和平にいたる |
1787 | オラニエ公の相続を主張するプロイセン軍が秩序回復を名目に侵攻してくる |
1788 | イギリス、プロイセンと防衛同盟を結ぶ |
1793 | フランスが宣戦布告する |
1795 | フランス軍がオランダを占領する/総督ウィレム5世がイギリスに亡命する/バタヴィア共和国が成立する/フランス・オランダ同盟条約が成立する/イギリスが宣戦布告する(第五次英蘭戦争) |
1796 | 従来の連邦議会が廃止されたため、ハーグで第1回国民会議が開催される |
1798 | バタヴィア共和国憲法が公布される |
1799 | イギリス・ロシア軍が侵攻してくる |
1802 | アミアンの講和が成立し、イギリスと和平にいたる |
1803 | イギリスとフランスの戦争再開で、オランダはイギリスと戦争状態になる(第六次英蘭戦争) |
1806 | バタヴィア共和国が廃され、ホラント王国が成立し、ルイ・ボナパルトが国王となる |
1810 | ナポレオンがホラント王国をフランスに併合し、オランダ国家は消滅する |
1813 | オランダの有力貴族がネーデルラント王国の独立を宣言し、ウィレム6世が国家元首を名乗る |
1814 | 新憲法を制定し、立憲君主国となる/パリ講和条約でオランダの独立が承認される/ロンドン条約でオランダが低地地方南部(現ベルギー)を併合することが認められる/ネーデルラント銀行を設立する |
1815 | ウィレム6世がネーデルラント国王ウィレム1世として即位し、オランダは正式に王国となる/大西洋の黒人奴隷取引を禁止する |
1816 | ジャワがイギリスから返還される |
1824 | イギリスとロンドン条約を結び、アジアの植民地領有を調整する/オランダ商事会社を設立する |
1828 | バンホーテンのファン・ハウテンが油圧式ココアプレスを開発する |
1830 | ジャワに強制栽培制度を導入する/ベルギーが分離独立する |
1831 | ベルギーとの間で戦闘となる |
1839 | ベルギーの独立を正式に認める/最初の鉄道がアムステルダム・ハールレム間に開通する |
1840 | 国王ウィレム1世が退位し、同2世が即位する |
1848 | 自由主義者でライデン大学教授のトルベッケに諮問し、近代的な新憲法が公布される |
1849 | トルベッケの自由主義政権が発足する/国王ウィレム2世が没し、同3世が即位する |
1860 | 小説「マックス・ハーフェラール」が出版される/東インドで奴隷制度を廃止する |
1863 | 西インドで奴隷制度を廃止する |
1870 | 強制栽培制度の段階的廃止が決まる |
1871 | オランダ労働総同盟が設立される |
1872 | イギリスとスマトラ条約を結び、アフリカのエルミナ要塞をイギリスに譲り、その代わりにアチェの植民地化をめざす |
1873 | アチェ戦争が始まる(-1909頃) |
1879 | 反革命(フランス革命を否定する)運動の指導者カイペルが反革命党を設立する |
1880 | 改革派系のアムステルダム自由大学(私立)が設立される |
1890 | 国王ウィレム3世が没し、ウィルヘルミナ女王が即位する |
1890年代 | オランダの産業革命が始まる |
1899 | ハーグで国際平和会議を開催する |
1901 | 植民地に対して道義的使命を背負った返済と政策を進める“倫理政策”を発表する |
1903 | 神父のスハープマンを中心に、ローマカトリック全国有権者同盟が設立される |
1916 | ゾイデル海沿岸が大洪水に見舞われる |
1917 | 憲法改正で男子の普通選挙制が実現する/国会議員選挙に全国比例代表制を導入する |
1920 | 国際連盟に加盟する |
1922 | 憲法改正で女性参政権を認める |
1924 | 自由主義者の自由国家党が設立される |
1925 | ローマカトリック国家党が設立される |
1932 | 締切大堤防が完成し、ゾイデル海がエイセル湖になる |
1934 | 活動家アントン・デ・コムの「我々はスリナムの奴隷」が出版される |
1940 | ドイツ軍が宣戦布告なしに侵攻し、全土を占領する/王室と内閣はロンドンに亡命する |
1941 | 日本に対して宣戦布告する |
1942 | 日本が宣戦布告する/日本軍がオランダ領東インド植民地を占領し、軍政を布く |
1944 | オランダの南部3州が連合国軍により解放される/“飢餓の冬”(-45)で多数の犠牲者が出る/ベネルクス関税同盟が成立する |
1945 | ドイツ軍が降伏し、全土が解放される/亡命内閣がロンドンから戻る/インドネシアが独立を宣言する |
1946 | インドネシアの独立を阻止するためジャワにオランダ軍を増強する |
1947 | ジャワ、スマトラで第1次警察(軍事)行動に出る |
1948 | ジャワ、スマトラで第2次警察(軍事)行動に出る/ウィルヘルミナ女王が退位し、ユリアナ女王が即位する |
1949 | ハーグ円卓会議が開かれ、インドネシアの独立を連邦共和国の形で認め、オランダ・インドネシア連合を設立する |
1950 | インドネシアが単一の共和国になり、オランダ・インドネシア連合を解消する |
1951 | テレビの公式全国放送が始まる |
1953 | ゼーラント州を中心に大洪水に見舞われる/作家アニー・M.G.・シュミットの「イップとヤネケ」が出版される |
1958 | デルタ事業計画に着手する/ヨーロッパ経済共同体(EEC)とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)に加盟する |
1960 | インドネシアと国交断絶する |
1969 | 西イリアンがインドネシアに帰属する |
1971 | 政治家マルハ・クロンペが初の女性閣僚になる |
1973 | 宗教党連合のキリスト者民主アピールが成立する/第一次石油危機に見舞われる |
1974 | スリナムが独立する/石炭を採掘してきたリンブルフ州の鉱山が閉鎖される |
1978 | 第二次石油危機に見舞われる |
1980 | ユリアナ女王が退位し、ベアトリクス女王が即位する |
1986 | 12番目の州としてフレヴォラント州が生まれる/デルタ事業が完成する |
1995 | 国連オランダ軍を配置する保護区域(安全地帯)でスレブレニツァの虐殺が起きる |
2000 | 同性婚が合法化される |
2001 | 安楽死が合法化される |
2002 | ヨーロッパ連合(EU)の共通通貨ユーロが導入される/国際刑事裁判所(ICC)がハーグに設置される/ビム・フォルタイン暗殺事件が起こる |
2010 | オランダ領アンティルが解体し、キュラソー島とシント・マールテンがオランダの構成国となる |
2013 | ベアトリクス女王が退位し、ウィレム・アレクサンダー国王が即位する |
2014 | マレーシア航空17便撃墜事件が起き、乗客283人(3分の2以上がオランダ国籍)と乗員15人の全298人が犠牲になる |
2020 | 公式名を“the Netherlands”に統一する方針を発表する |