趣味将棋事始

なぜ王将と玉将があるのか

玉将をはじめとする駒の名前の由来や王将の出現の理由などについてです。

将棋駒の名称

各国の将棋類は、王、将、象、馬、車、兵の六種の駒を基本として、その国による名前を与えています。そのうち、駒に文字を記して識別するのは漢字文化圏の、中国、朝鮮、日本です。

駒名の由来

中国、朝鮮の駒の名前は、将、馬、車、兵など一文字ですが、日本はそれらに玉、金、銀、桂、香など珍宝佳品が冠せられて、二文字になっているとともに美しくなっている、という説があります。

すなわち、玉・金・銀・桂・香・歩というおなじみの宝物を上に冠したのである。(中略)歩のみは宝物ではなく、歩くの意から兵の上に加えられたのである。 出典:木村義徳『持駒使用の謎』日本将棋連盟, 2001

珍宝佳品説によれば「玉将」が正しいことになります。実際に王将はあとから出現しました。平安時代後期のものと推定される興福寺旧境内から出土した最古の駒には、「玉将」はありましたが「王将」はありませんでした。

王将の出現

書き損じなのか、点が消えてしまったのか、詳しい理由はわかっていませんが、字が似ていることも相まって、いつからか「王将」も使われるようになったといわれています。

『御湯殿上日記』の文禄4年(1595)5月5日条に、

太かう(太閤)より、きくてい(菊亭)、くわんじゆ寺(勧修寺)、中山御つかいにて、志やうぎ(将棋)のむま(馬)、わうしやう(王将)をあらためて、大将になをされ候へのよし申さるる御心へあり。(下略)

とあり、これは玉将と王将があるのは煩わしいから、大将にしてしまったらという豊臣秀吉の意見なのだそうで、そのころ玉と王の区別がすでにあったと推測されます。駒は、古くは「むま(馬)」といったそうです。

玉と王の使い分け

いつごろから「玉将」と「王将」を使い分けるようになったのかは明らかになっていません。使い分けるようになったのには「国に二王」あるのを忌むとする説がありますが、俗説にすぎないようです。

現在、将棋を指すときに玉将と王将がある場合には、上手が王将、下手が玉将を持つのがマナーとなっています。

参考資料
  • 木村義徳『持駒使用の謎』日本将棋連盟, 2001
  • 窪寺紘一『日本将棋集成』人物往来社, 1995