趣味将棋事始

将棋の歴史

将棋の発祥や起源、普及や進化、ルールの変遷など、将棋の歴史をわかりやすく簡単にまとめました。背景を知ると将棋との向き合い方も変わるかもしれません。将棋について語りたいときにも役立ててください。

将棋の起源

将棋の起源は、古代インドのボードゲーム「チャトランガ」で、そこから派生したというのが最も有力な説です。

このチャトランガが広まって西洋の「チェス」、中国の「象棋(シャンチー)」、朝鮮半島の「将棋(チャンギ)」タイの「マークルック」などになったと考えられています。

日本の将棋史

将棋が日本に伝わったのは、早ければ6世紀から7世紀ごろとされています。伝播経路は、東南アジア系の説と中国系の説があります。

平安時代の『新猿楽記』に将棋に関する記録があり最古の文献とみなされていて、1993年4月に奈良市の興福寺旧境内に当たる井戸状遺構から出土した駒が最古の資料と考えられています。

平安時代

平安時代に「平安将棋」と呼ばれる将棋の初期のルールが確立されました。この時代に書かれたと考えられている『二中歴』に将棋が取り上げられているため、貴族や武士階級の間で将棋が行われていたと推測されます。

持ち駒の使用

持ち駒のルールが、日本の将棋の最大の特徴です。持ち駒が使われるようになったのは平安時代と想定されるという説があります。

平安期(七九四-一一八五)は四〇〇年近くも続いているが、大ざっぱに前半が持駒不使用、後半が持駒使用とできよう。 出典:木村義徳『持駒使用の謎』日本将棋連盟, 2001

室町時代

室町時代になると、将棋は現在のルールに近づいていきました。平安将棋に飛車・角行・醉象を加えた四二枚制の「朝倉将棋」が、戦国時代の一乗谷遺跡から出土しています。将棋は武士の間で人気の娯楽だったようです。

15世紀から16世紀ごろに、醉象が除かれ、持ち駒のルールが加えられ、現在の将棋のルールが成立したと考えられています。

江戸時代

江戸時代には、幕府の保護を受けた「将棋家元制度」が成立しました。大橋本家、大橋分家、伊藤家の将棋三家は将棋家元となります。この時代には、多くの名人が登場し、将棋の技術が向上しました。

多くの史料が残っていることや、マス目や駒数を増やした将棋が考案されていたことから、本将棋が庶民に普及していたと考えられます。

現行の四〇枚制将棋は、速攻を仕掛けていきなり激闘にならなければ、一二〇手前後で対局は決着がつく。(中略)四〇枚制が主流になるのは、江戸時代である。 出典:永井晋『将棋の日本史』山川出版社, 2023
将棋の日

11月17日は「将棋の日」となっています。これは、江戸時代に将軍御前で対局する「御城将棋」が公務になり、8代将軍の徳川吉宗のころに、年に一度、11月17日に御城将棋が行われるようになったことに由来します。

近代

近代に入っても将棋の人気は継続し、明治には新聞に掲載されるようになりました。将棋欄の掲載を図って結成された組織は増えていって、やがて日本将棋連盟が結成されることになります。

将棋はさらに発展し、競技としての側面が強調されていきます。家元名人制時代から続いていた「終世名人制」が「実力名人制」になるなど、近代から現代にかけて、大会やプロ棋士の制度が整備されました。

現代の将棋

現代では研究が進み、定跡が整備されました。コンピューターやインターネットの普及も将棋に大きな影響を与えています。将棋は日本国内外で人気のあるゲームとして親しまれています。

コンピューター将棋

コンピューターの性能向上により、コンピューター将棋の開発が進みました。強力な将棋エンジンが開発され、プロ棋士以上の実力を持つコンピューター将棋が登場しました。

AIによる解説

テレビやインターネット配信などの将棋でAIが使われています。AIによる形勢判断や評価値、候補手を交えることで、観る将棋も楽しまれています。

AIの棋譜解析

AIは対局を解析する際にも活用されています。AIの評価を参考にすることで戦術や戦略の理解が深まり、棋力の向上につながっています。

AIとの対局

AIと棋士や、AI同士の対局が注目を集ています。AIの高度な戦略や戦術を垣間見れるので、将棋ファンにとって興味深いものです。

オンライン将棋

インターネットの普及でオンライン将棋が盛んになりました。いつでもどこでも対局でき、初心者から上級者まで幅広いレベルの相手を見つけられるようになりました。

将棋の情報をオンラインで簡単に得られるようになりました。大会やイベント情報、戦術や棋譜などがウェブサイトや動画配信サービスで提供され、多くの人が将棋を楽しめるようになっています。

参考資料